ありんご夫婦旅行

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267 大分熊本3日目中編:どこを見ても鬼!鬼!鬼!

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2021年autumn

 

1日目:仙台空港から福岡空港、宇佐神宮、由布院、やまなみハイウェイ、犬のいる阿蘇の宿プレミアムスウイッチ

2日目:城山展望所、九重夢大吊橋、タデ原湿原、やまなみハイウェイ、くじゅう花公園、大観峰、新阿蘇大橋展望所ヨ・ミュール、地獄温泉青風荘すずめの湯、黒亭、スーパーホテル熊本

【イマココ】3日目:長部田海床路、宇土マリーナ、天草イルカウォッチング、鬼の城公園、殉教公園、祇園橋、本徳稲荷神社、ありあけタコ街道、上天草物産館、青井阿蘇神社(宮崎県)

 

3日目の中編に突入!長かった熊本編もあと次で終わりです。先週のブログに書いたイルカウォッチングのあとは来た道を戻るだけ。ここでもう1泊あれば島をぐるっと回れたんですけどね。今回は日程に限界があるのでまた来ましょう。

鬼の城公園

元々来る予定のなかった公園です。いつも旅行の時はGoogleマップを見たりして気になる所に寄るのですが、ここは見落としていました。運転中に看板を見つけて気になったんです。

誰もいない公園。人の気配すらありません。

う、うぉおお…。車を停めたらもう異国。異文化感。棒の上に鬼の顔。

鬼の生首を飾っているようなそんな感じ。

しかも無数にありますよ。軽く100本ありそう。異世界にとばされちゃいそうなそんな雰囲気があります。誰もいないというのがまた恐怖心を煽りますね。

鬼に見られながら歩きます。視線が痛い。初めてマ〇オのゲームをして、クッ〇城に足を踏み入れた時の少し怖い、けど進みたい、あの気持ち。

でっかい鬼を発見。本当にここはなんなんでしょう。こんな気軽に来て良いところだったのでしょうか。

突き当たりには円形の広場。何となくコロッセオを連想。突然猛獣がでてきたりはしませんよね。

随分広いです。足元は芝生。声が良く響きます。黙ると本当に静か。葉擦れの落としかしません。

足早に退散。

車に乗って出口へ進んでいる途中、真っ赤な金棒を見つけました。罠っぽくて怖くて降りませんでしたが、階段がありますし多分展望台のようになっているのかと思われます。車を降りれば良かったのにと今なら思えますが、この時は本気で怖かったんです。早く立ち去りたい気持ちでいっぱいでした。

■鬼の城公園

■場所天草市五和町城河原1丁目3159

さっきまでいた場所はもしかしたら夢だったんじゃない?なんて話すくらい不思議な場所。撤収しながら調べると、この辺りは昔優しい鬼がいたんだとか。その鬼がお坊さんと協力して大蛇を退治したという伝説があるそう。

そんな優しいお話だったとは。そして夢でなくちゃんと実在している観光地と知り少し安心。この後は道の駅へ直行します!

地元に似た懐かしの景色。

のどかです。

殉教公園

分かりやすく看板が出ている場所にふらっと立ち寄り。先ほど母から「晩御飯の唐揚げの材料を買いに行くからね〜」と連絡が来たため、滞在時間は短めです。

せっかく天草に来たのに、まだキリシタンに触れていません。次来る時は歴史を調べてしっかり予習した上で来たいですね。

まだ天草にいるのに、もう次のことを考えちゃってます。

【今も残る当時の遺構】

ここも誰もいませんね。もしかして単純に観光客が少ない時期なのでしょうか。

お墓。ジメジメしておらず、海外のさっぱりしたお墓の雰囲気。

本渡(戸)城跡の構造

天正天草合戦について記した『九州治乱記』には本渡(戸)城について「三方向はけわしい難所で、北一方向は山に続いている。ここが要なので堀をつくり、逆茂木をかけて」とあります。

現在に残る本渡城跡の姿もやはり北側は山に続き、東西南は崖面となっています。また西から南にかけては町山口川が流れ天然の堀としての役目を果たしていた可能性があります。

城の範囲はまだ明確でなく、天草キリシタン館が建つ高台と千人塚を中心とした範囲を城域とする説(青線)や天草伊豆守碑が建つ丘陵を中心に、明徳寺周辺や天草高校付近までの広域を範囲とする説(紫線)などがあります。天草キリシタン館が建つ高台では、権力者しか所有できない高級な青磁酒海壺の破片や饗宴に使われたと思われる大量の土師質土器皿が採集されており、ここが城の中枢部として重要な区画であったことは間違いないと考えられます。】

本渡(戸)城の歴史

本渡(戸)城跡は戦国時代の有力国人「天草五人衆」の中で最も勢力を有していた天草氏の拠点城郭です。城内で採集された陶磁器から14世紀頃には城としての機能を果たしていたと考えられます。本渡城は、天正18年(1590年)城主天草伊豆守種元と小西行長・加藤清正らが激しい戦いを繰り広げたことで知られています。天草種元はドン=アンドレアというキリシタンであり、この戦いでは、城内に宣教師と付近のキリシタンたちが立て籠りました。

攻め手側の小西行長もまた敬虔なキリシタンであり、同胞への情から城攻めに消極的でしたが、一方の加藤清正は激しく城を攻めました。種元勢は籠城し頑強に抵抗しました。その抵抗ぶりは宣教師ルイス=フロイスによる『日本史』に記録され、特に婦人たちの激烈な戦いが以下のように語られています。

300人の夫人は・・・(中略)・・・髪を切り、衣が邪魔にならないように裾をあげ、鎧や武器で身を固めた。大勢が兜をかぶり、コンタツのロザリオや聖遺物を首に掛けた。こぞってイエスの御名を唱えながら、勇気をふるい起こし、最大の激戦が展開している戦場を目指してまっしぐらに突入した。・・・(中略)・・・こうして彼女たち全員が刀で殺され、戦場に身をさらした。

この悲劇の後、ついに種元は切腹、本渡城は落城しました。籠城側は1300名の犠牲を出しましたが、攻め手の加藤勢はそれを超える2000名近い兵士が落命したとフロイスは伝えています。】

時々見かける、世界人類が平和になりますようにと書かれた白い棒。宮崎県のサンメッセ日南にもあります。

少しだけ徒歩。地元宮崎県を思わせる南国の植物と青い空。

徒歩でゆっくり観光したい気持ちを抑え、車でちらっと見ます。ちらっと。

キリストの像かしら。

theお墓って感じのお墓。ドラクエ的な。

天草キリシタン館。今度また来るときはしっかり中に入りたいですね。

すぐ横には鳥居。神社かしら。

先ほど書いた看板に載っていた明徳寺。ここにあったんですね。

お寺の前をすーっと通り過ぎ山を降ります。山をおりてすぐ近くにある、歴史の深い祇園橋へ。

祇園橋

車が1台、やっとこさ通れる道。もう見えて来ました。あの橋が、国指定重要文化財の祇園橋です。

石でできた祇園橋です。

 

落下の可能性があるため通行止め。とっても歴史を感じる佇まいです。1637年の島原・天草一揆の際はこの山口川を屍が埋め尽くしたんだとか。

夏目漱石に目がいきましたが、その横には山口川三大合戦なんちゃらと書いてあります。きっと島原・天草一機の慰霊碑的なものですね。

■祇園橋

■場所…天草市船之尾町1

本徳稲荷神社

いるかウォッチングの前、天草に来た頃から遠目に見えていて気になりました。朱色が目立ちまくっています。

行けるのかな~こっちかな~なんてちょっと寄り道。

道に迷いながらも進みます。

こんなに大きくて目立つのに、道が狭いので車が頻繁に通る道ではないのかしら。

大きいですね!

駐車場からは遠くまで良く見渡せます。

看板をよく見ると、以前書いてあって消されたような跡が。白く浮かび上がっています。京都の伏見稲荷大社との関係もあるんですね。商売繁盛、家内安全等のご利益があるそう。口コミを検索すると建物に入れると書いてありますが、誰も居ないんですよね…。勝手に入っていいものなのか。景色だけ楽しんで後にしました。

■本徳稲荷神社

■場所…天草市本渡町広瀬973

九州の上の方、佐賀か長崎かその辺りに祐徳稲荷神社という大きな稲荷神社もありますよね。転勤した友達が参拝していました。そこも気になるので行ってみたいです。

 

今回はここまで!若干内容が薄いのでもう少し繋げたい気分ですが、来週のブログ内容との兼ね合いもあるためここで切っちゃいます。文字数4000もいっていないので、結構短い。さて、来週水曜日のブログはいよいよ完結編!長く続いた熊本&大分旅行が終わり、地元宮崎県に入りますよ。でっかいタコとの絡み写真、異国情緒溢れる道の駅などなど。

 

また来週お会いしましょう★

 

 

この旅行の初日↓

aringo-travel.hatenablog.com

 

2日目のスタート↓

aringo-travel.hatenablog.com

 

 

 

 

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