ありんご夫婦旅行

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187 ひぃばぁ談:戦時中や旅行話(全国各地)

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箸休め編です!

 

 

2020summer

 

 

 

最初の2週間は半隔離状態でしたが、そろそろ大丈夫だろうということでやっと家族と食卓に座りました。

 

ひぃばぁがもう90歳を超え、いつ実家が無くなるか分からないので記録に残すことに。私もあと何回帰省できるかわからないので、聞けることを全部聞いておこうと思いました。最初は「なし(なんで)、聞ぃてくっとか。まだ死なん」と言っていたひぃばぁですが、沢山教えてくれました。

 

まずはおうち紹介

 

土間の立派なハリ↓

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土間の天井

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汚すぎてとりませんでしたが、土間にはかまど薪置き場が残っています。祖母が子供の頃には現役で使っていたそう。

 

お風呂も昔は五右衛門だったようですが、私が物心着く頃にはバスタブ&蛇口に変わっています。トイレは昔、ぼっとんだった気がします。

 

 

ミニ精米機

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自宅でその日に食べる分は、ここで精米します。実家にいた頃はもう2回り大きい精米機でした。私や弟が実家を出たので小さいのに変えたんだとか。

 

沢山精米する時はコイン精米機に行きますよ。

 

 

室内。

 

 

 

撮っていない部屋もありますが大体こんな感じです。勉強机がある部屋や、電話の部屋はまた別です。

 

ゴザとマクラはひぃばぁorありんごが寝る時に使っています。

 

 

ウエディングドレスでの前撮りを年末に行ったくらい、1年中温暖です。(寒い時は朝晩冷えます!が!昼には暖かい)実家の天井は高く、また全ての部屋が障子や襖なので、開けると風が通って涼しいです。

 

2階の屋根裏部屋から、家の屋根に飛びうつれます(笑)

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庭でボール遊びをしていた小学生の頃、屋根にボールが乗った時はここから屋根に飛び乗っていました。今考えると危険です。

 

母方の実家に住んでいるというのは珍しいのではないでしょうか。家を出て知りましたが。父方の実家、または祖父母と完全に別居という人が周りに多かったです。子供のころから年上が多いので、昔の人の知恵も沢山学べてよかったなと思います。

 

ひぃばぁの昔話〜戦争編〜

 

昭和6年生のひぃばぁ。小学4,5年の頃に戦争が激化したんだとか。この辺りにも戦闘機(飛行機?)が飛んできたり、空襲警報が鳴ったり。

 

・エピソード①学校で…

下の学年は、空襲警報が鳴るとすぐに帰っていたそう。その付き添いでひぃばぁ達も帰宅。※できるだけ標準語に寄せます※「警報がなるとすぐ帰れるからって喜んだら、先生にでやされ(怒られ)た。今はバイパスが通ったから、通り抜けできないが、空襲警報の時は道無き道をひたすら歩いて帰ってきた。その頃はこんな立派なずっくは無いから、藁草履だった。ヒュー、ヒューと爆弾の落ちてくる音を聞きながら山に逃げた。近くの▽〇橋に落ちたこともあった。」

 

「いつからか勉強は市内で、竹やり訓練があった。高学年だけ。何のためにするかは分からなかったし、不満もあったけど言うと怒られるから黙ってたな。言った気もするけど笑」

 

 

・エピソード②進路について…

 

小学校→青年学校→高等科2年の流れ。本庄高校は昔から在って、ここを出るとJAや市役所で働けた。青年学校の3年にもなると、周りの人は嫁にもらわれていったりでどんどん人数が減ったそう。

 

「頭の悪いやつなんかは長崎の工場に連れていかれた」工場に行く人の事をテイシンタイと言うそう。ひぃばぁ達はそれが嫌で、女子高や受験を考えたり、頭の良い学校を目指したそう。「長崎に連れていかれたら戻ってこれん」と噂になったんだとか。「この辺(私の地区)は、先生が多いじゃろ。皆戦争に行かんでいいごつ、勉強を頑張ったとぞ」地区の人達はほぼ全員百姓だけど確かにひぃばぁ世代や、よく話を聞く人なんかは頭が良くて先生もしていたとか聞いていた。そんな時代背景があったとは…。

 

 



・エピソード③防空壕へ…

 

家のすぐ裏が川で、川べりに防空壕を作っていた。青竹を指して、入口がわからないように工夫したそう。夕方に川で水浴びをしたり洗濯ができた。

 

家にいる時に空襲警報が鳴ると、唐芋(さつまいも)やお米を握って、電気を消して防空壕に向う。防空壕に向かう時はできるだけ目立たない色の服を着て、歩きにくい竹やぶを抜けていく。地域全員が親戚みたいなド田舎。女の子が一人いないことに気づいた。「ミヨちゃん(仮名)が居らんど!」と騒ぎになるも、戦闘機の音はどんどん大きくなる。「あんたが探しいけ」「おらは無理だ。おめが行け」と行ってる間も戦闘機の音や爆弾?の音がする。静かになったあと、田んぼの様子を見に行くとドブをさらうミヨちゃんを見つけた。「なし、こげなとこにおっとね?!」「ミヨちゃん無事じゃったがー!」と皆がザワザワ。何とミヨちゃんは戦闘機の音にも気づかず夢中でシジミを取ってたんだと。「音に気づかんことあろか(気づかないことある?!)」とひぃばぁ達は驚いたそう。

 

他にもあったようですが、ここからは歯切れの悪い会話でした。疎開してきた部落外の人達には食料を与えない(食い潰されるから)、ひぃじぃが戦争に行く時皆で泣いたとか。そんな系統の話がポツポツ出ましたが、どれもサラッとだけ。詳細は聞かなくて良いの一点張り。話してくれませんでした。それだけ大変なことがあったんでしょう…。ひぃじぃは靖国神社に名前が刻まれているそうで、「見てきて」と頼まれましたが展示のところにはまだ行けていません。

 

 

ひいばぁの昔話〜旅行編〜

 

・エピソード①旅費・期間

百姓は田んぼが暇な時期に、1ヶ月くらいかけて旅行したんだとか。みんなでバスを借りて、1人10万持って旅行すれば好きなものがなんでも買えたそう。沖縄・北海道は行こうとすると誰かしら亡くなるから、計画するのもやめたんだとか。

 

・エピソード②いろんな場所

秋田県に行く時、油で走る電車に乗った。20歳の頃。秋田県&黒部は飛行機を使った。最上川の舟下りをした

広島の5円や1円を作るところに行った・黒部ダムまで何度もトンネルを抜けながら汽車で行った

・ライチョウは見れなかった

天草五橋の橋を回って帰ったこともある。道が悪くてコロンコロンした

延岡から下道で長崎も行った

・船で神戸へ行った

桜島を一周した。指宿、知覧も。平川動物園は完成前だった。

・夜中おなかが空くから握り飯を持って行ったり、旅館で作ってもらった

福島の白虎隊も行った。会津の城ではキャラメルが沢山売ってあった。火口跡のはらっぱ山(?)で霧が濃くなった。手を伸ばしても声しか聞こえない。あの世みたいだった。甘酒を飲んで、今も玄関に飾ってる赤べこをかった。

奈良はシカが多くててなわん

京都の清水寺、金閣寺はあっぱれ。

青森のねぶた(展示だけ?)行った。

四国の金比羅山の階段も登った。宿に歌手が来て盛り上がった。2回行った。1回目は汽車、2回目は船とバス。

宮城は伊達政宗の公園に行ったのを覚えてる

福岡の汽車で山口へ行った

山口の神様、吉田松陰先生のところで縄梯子を見た

 

 

前後が聞き取れず不明な部分↓

・8月なのにスキーができる・

・1台目は通った2台目は雨で足止め。崩れた

・浜ばたの砂がキューキュー鳴るとこ

・本州と繋がる橋へ行って渦を見た

 

 

・エピソード③秋田のクロンボ(※70年前の話です※)

黒人さんのことをクロンボと呼ぶひぃばぁ。※差別用語らしいです※昔はみんなそう読んでたそうで、別に差別とかいう意識でもないと言ってます。秋田の旅行地で初めて見て驚いたそう。「手がまっくりー、なしてそんげ黒くなるとか不思議でたまらん。初めて見た。クロンボは器量が良くて、田舎モンのおら達みたいに丁寧に握り飯を作ってくれた。それが美味しくてな、クロンボはいい人だ。おらみたいな田舎モンを除け者にしないんだ。」と軽く20回は聞きました(笑)今も部落に住むひぃばぁにとって、それほど印象に残った出来事だったようです。優しくされて嬉しかったんだと。

 

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・エピソード⑤おっかない蔵王

 

「蔵王は霧が濃くて、人間が行くとこじゃ無ぇ。さっきまで横を歩いてたカヨちゃん(仮名)が、もう見えん」私も、蔵王は運が悪く何度行っても霧ですが、ひぃばぁが行った時も霧だったそうで。1人戻ってこなかったとも言っていました。荷物はあるけど人がいない、待てど暮らせど戻ってこない。その後のことは忘れたと言っていました。果たして無事だったのか…

 

・エピソード⑥フェリー

初めて船に乗った時の話をしてくれました。どこを見ても海、船の中には自動販売機のオロナミンCが110円で驚いた。「買い方がわからん、」と皆が口々に言い、周りの人を観察して買ったんだとか。周りの人に聞くも宮崎弁が通じずバカにされたとか何とか。(バカにされたのはきっと気のせいだと思いますが、方言が通じなかったのは有り得ます)

 

・エピソード⑦宅急便

初めて旅先で宅急便を利用した時の話。「タヌキかキツネに化かされたごつある。家に荷物があった」との事。よく覚えてるなぁと思いました。宅急便を初めて使うのが旅先って、結構チャレンジャーだなと思いつつ。ド田舎に運んでくれた、当時の宅急便の方ありがとうございます。

 

・エピソード⑧お守り

「旅行(長距離移動)には梅干しを持っていけ」と、言っていたひぃばぁ。最近になって、車酔いの時に良いだとか、保存食だからしばらく日持ちするとか色々知りました。昔の人が言うことって理にかなって居るんですね。ひぃばぁ自身も、旅行の時は梅干しを数個アルミに包んで持ち歩いていたそうです。

 

 

実家の仏壇

 



この並びを覚えときなさいと言われました。いつかひぃばぁがいなくなった時、真似をしてと。

 

玄関を入ってすぐの部屋に仏壇があります。その横の部屋は天照大御神の掛け軸のある客間。

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仏壇は常に目に入るのですが、こんなにまじまじと見たのは初めてです。

 

ひぃばぁの昔話〜家について〜



・エピソード①お蚕さま

一時期、お蚕さまが居たそうです。ひぃばぁの幼い頃であまり覚えてないようですが。寒いと桑を食べないそうで、温度管理が大変だったと言います。今は畳の奥の部屋は、昔は板の間でそこに御蚕様がいたんだとか。

 

・エピソード②柿の木

今はありませんが、庭に柿の木があった。客間は元々掘りごたつがあり、さらにその下(?)に、床下収納??があったそう。そこに果物なんかを保管していたんだとか。掘りごたつがあったのも知りませんでした。

 

・エピソード③2階

母屋の2階は、もう20年以上使われていません。階段はありますが、障子を開けないと階段が見えないんです。俗に言う隠し階段のような感じ。2階には15段ほどある立派なひな飾りがあるとか、昔は下宿のように使っていて人が泊まっていたとか。そんな話も出てきました。

 

 

ひぃばぁの昔話はこの辺で!家族、見てる〜〜??(笑)ほかにも出てきましたが、地名や名前が多いので書かない方が良いかな。ひぃばぁのお母さんの名前の由来だとか、どんな人だったか、当時の差別(川向いは言葉が悪いだとか)、地区対抗運動会では男も化粧をしたとか、1等2等は長崎県での大会に行けたとか。そんな話も聞きました。

 

私の好物、鳥のたたき↓

皮を炙った鶏肉です。イオンの惣菜コーナーにありますよ。

 

イオンの夜ご飯↓

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安いんですよー(笑)

 

夜は弟と弟の友達と家の前で花火。

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車を走らせ、スーパーへ。弟と花火なんていつぶりだろうねと話しながら。

 

この日はずっとひぃばぁと話していました。いつも予定をぎゅうぎゅう詰めにしているので、基本的に家にいないんですけどね。居てもこんなに話を聞くこともなかったので、私としても特別な体験です。

 

まだまだ聞きたいところでしたが、話し疲れたようで途中から寝てしまいました。また帰省した時に聞きたいです。長生きしてほしいなぁ。

 

ひぃばぁが元気な間に話を聞くのはもちろんのこと、生活の知恵も学びたいです(^^

 

 

さて来週のブログでは、東北に帰ります。大阪の空港での乗り継ぎ時間が長かったので少し出歩いてみました。人が多かったら撤収するよ!と決めていましたが、ほとんど人がいないかったので安心して観光。

 

是非来週のブログもご覧ください(^^

 

 

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