ありんご夫婦旅行

★毎週水曜日更新★

243 京都7日目中編:二条城と上賀茂神社の特別参拝※文字数が多いです※

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2021年Summer

 

7泊8日京都旅行、7日目も三部構成にてお送りしております。先週は神泉苑&喫茶チロル、今週は二条城と上賀茂神社です!

 

スケジュールはこんな感じ。

1日目:天橋立(傘松公園、天橋立ビューランド)、籠神社

2日目:清水寺、二寧坂〜ねねの道、長楽館、八坂神社、祇園、平安神宮

3日目:台風のため京都駅ランチ

4日目:宇治エリア、フランソワ喫茶室、京都御所、京都府庁、Cafe HELLO

5日目:嵐山エリア

6日目:河原町とイノダコーヒー本店

【イマココ】7日目:チロル、二条城、上賀茂神社、賀茂御祖神社(下鴨神社)、六曜社

8日目:滋賀チラッ、松尾大社、大阪咲くやこの花館

 

賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)はどうしても同じ日に行きたかったんです。毎年5月に行われる葵祭が、京都御所を出て賀茂御祖神社→賀茂別雷神社に向けて進むんですよ。この2社は関係も深いので、少し距離はありますが同じ日に行かねばと。

 

あわよくば上賀茂神社と下鴨神社は同じブログにまとめたかったのですが、文字数と写真数の関係上別れてしまいました。無念。

二条城

歴史に疎い私が何故か名前を知っていた二条城です。なんで知ってるんだろうと話していると「歴史の教科書にでてきたと思う」と言われました。大政奉還が行われた場所らしいです。大政奉還はなんとなく習った気がしますね!頭の片隅に残っていた模様。

持ち歩いている観光雑誌を開きたいのですが、雨。濡れてしまうので閉じたまま。中に入ればきっと説明の看板があるでしょうと信じて進みます。

東大手門前広場について

【東大手門は二条城の正門です。そのため、その前の空間は江戸城の大手前広場と同様に正門として相応しい広さになっています(赤枠の場所)。元文元年(1736)の『二条城外側廻絵図』によると、二条城外堀の周囲には空き地が存在し、さらにその空き地を柵や木戸で囲い、要所には番所が設けられていますが、空き地は特に東側が広く、堀川西側までの幅は三十間五寸(約59.2m)もあったと記されています。南北に続く堀川通と比べると広さの違いが明らかです。

今回の整備にあたっては、堀沿いの木樋は江戸時代の洛中洛外図を、舗装の色は、発掘調査でつかった江戸時代の地面を参考にしました。】

 

洛中洛外図に見る二条城

【この洛中洛外図には、江戸時代初代将軍徳川家康が築いた当初の二条城が描かれています。東大手門(櫓門)から始まる行列の様子から、ここが二条城の正門であったこと、当時は堀の周囲に橋が巡らされていたことがわかります。行列の中に、二頭立ての牛車が描かれていますが、牛車に乗ることを許された将軍(家康か秀忠)が参内する場面か、1620年に後水尾天皇の后となる和子(2代将軍秀忠の娘)が入内(輿入れ)する場面かと考えられています。

右奥の天守は初代将軍家康によるもので(場所は現在の清流閣付近)、3代将軍家光の時に行われた後水尾天皇の行幸の大改修に際し、淀城に移築され、本丸には、伏見城から新たに天守が移築されました(その天守は、1750年に焼失し、現在は天守台のみ残っています)。

なお、東大手門は、行幸の際、二階のない門に造り替えられました。その理由は、天皇が門を通られる時、失礼のないようにとの配慮からではないかと考えられます(下右図参照。その後、1662年に現在の二階建てに復されました)。】

 

知っている歴史上の人物の名前が出てくると、ぐっと記憶に残りますね。情報を得てから見学した方が楽しめるので、看板に感謝です。

敷地内は有料です。

■料金…

一般1300円

一般団体(30名以上)1100円

中高生400円

小学生300円

※2023年調べ※

チケットは赤と緑。もしかしたらもっと色んな色があるのでしょうか。

チケット購入後、柵の内側に入れます。

この辺は写真を撮っても大丈夫そう。見学をしている時に、1番気をつけているのが撮ってはいけない場所。お土産屋さんなども、最近は撮影NGが増えています。

良かった!看板が沢山あります!旅行雑誌を見ながら進まなくても良さそう。助かります!

図も付いていてわかりやすい。全部が全部は書けないので、行った時にお楽しみください(^^

番所

【寛永3年(1626)の行幸を描いた寛永行幸絵図のこの位置に番所は描かれているが、現在の建物は、寛文3年(1663)に建てられたことが分かっている。平時の二条城は、幕府から派遣された「二条在番」と呼ばれる武士たちが宿直・警護していた。1組50人の在番が2組常駐し、この番所は彼らの詰所の1つとなっていた。城内にはこの他、唐門前、北大手門周囲、西門周囲等、計12棟の番所があったが、現在残っているのはここだけである。全国でも番所が現存する城は江戸城や丸亀城等わずかしかなく、貴重な建物である。】

 

敷地内はとても広く、どこをどう見て回ろうときょろきょろしていると、順路の看板を見つけました。従って歩きましょう!

トイレだけでなく、展示・収納蔵、大休憩所にはカフェ、コインロッカー、おむつ替え室もありますよ。手厚い。さすが観光名所。

被爆アオギリ

【このアオギリは広島平和記念公園内に生息する被爆アオギリの子孫です。爆心地より1.3kmにあった被爆アオギリは、原爆の熱線と熱風で大火傷を負いながらも生き長らえました。その子孫は各地に植樹され、現在も命や平和の大切さを後世に伝え続けています。

平成25年10月、悠遊舎京すずめ、被爆アオギリ里子運動関西事務所の企画により、福島県立会津高校と京都市堀川高校の生徒たちの交流活動の一環で植樹されました。】

塀が高いです。ー日目に訪れた、京都御苑を思い出しますね。

こちらは事務所。

無料休憩所は格子状のガラス戸が目印。

ソフトクリームの置物がぴょこっと見えています。

入城記念符(300円)はここにあるようです。最近、寺社仏閣の御朱印だけでなく城で集める方も多いそうですね!以前、熊本城に行った時も見かけました。

七夕飾り。

休憩所の中にある展示品。

ショーケースに入っているので見学のみかと思いましたが、購入も可能ですって。スタッフさんに声を掛けたら良いそうです。

京七宝・京焼・清水焼・京刃物の解説もあります。

あまり歩きたくない雨の日や、疲れてしまって歩き回れない時もここは楽しめますね!

【↓ようこそ二条城へ。二条城は、かつて城の主要部分であった本丸と、それを取り囲む二の丸で構成されています。二の丸は江戸時代に造られた建築、美術工芸品、庭園などが多く残るエリアです。近代武家文化が体験できます。北部には、昭和時代に京都市が作庭した清流園があり、美しい近代庭園を御覧いただけます。本丸の江戸時代に造られた建築は、火災によりほとんどが焼失しましたが、天守閣跡と明治時代に移築された皇族の邸宅が残っています。将軍が眺めた景色に加えて、近世から近代にかかる皇族文化を体感できます。各スポットの解説をもとに、400年間の歴史に思いをはせ、日本文化の旅をお楽しみください。】

おすすめの見学コース

二の丸御殿→二の丸庭園→天守閣跡→本丸御殿→清流園。所要時間は約2時間なんですね!

そ、そんな!本丸御殿は工事中ですって!コロナ禍で人が少ないこのタイミングは、工事をしているところが多いように感じます…。今がチャンスですものね…。本丸御殿&本丸庭園は見れなさそうです。

この門をくぐると、いよいよ二の丸御殿の内部見学。

もんを潜りながら見上げました。

立ち止まって撮る余裕もあります。

正面に見えてきたのが二の丸御殿。

敷地が広いですね。建物まで距離があります。

素敵な彫刻。

国宝 二の丸御殿

【二の丸御殿は、将軍上洛の際の居館として、徳川家康により江戸初期の慶長8年(1603)に造営され、寛永3年(1626)、後水尾天皇行幸にそなえて、第3代将軍家光の代に改造が行われ、現在の姿となった。慶應3年(1867)には、第15代将軍慶喜により、大政奉還の発表が行われた。御殿は全6棟の建物からなり、江戸初期に完成した住宅様式である書院造の代表例として日本建築史上重要な遺構であり、江戸城、大阪城、名古屋城の御殿が失われた今日、国内の城郭に残る唯一の御殿群として、昭和27年(1952)に国宝に指定された。内部を飾る障壁画は日本絵画史上最大の画派である狩野派により描かれた。現存面数は2000面を超え、そのうち1016面が国の重要文化財に指定されている。訪問者を迎える壮大な遠侍から、公式な対面所である大広間へと、さらには将軍が普段くつろぐ白書院へと、各棟、各部屋は機能に合わせて規模としつらえを異にしている。】

~館内撮影禁止~

 

入口にビニル袋が置いてあり、靴を脱いで入ります。鴬張り…という名前でしたっけ?廊下が鳴くんですよ!廊下の角には空調機が置いてあったり、部屋がとても多く20は超えていた気がします。やたらと広い金(黄色?)のお部屋、障子に色々絵が描いてあるお部屋など。歩けど歩けど終わりが見えません。本当に広いです。

釣鐘

【鐘は京都所司代屋敷で火事等の緊急事態を周辺に知らせるために使われていた。京都所司代とは主に朝廷や大名を取り締まっていた江戸幕府の出先機関である。京都所司代屋敷は二条城の北側に隣接して3ケ所あり上屋敷・堀川屋敷・下屋敷(千本屋敷)と呼ばれていたが、これらは下屋敷で使われていたものである。慶應3年(1867)に京都所司代が廃止された後、二条城に移されたと考えられる。】

特別名勝 二の丸庭園

慶長8年(1603)の築城時に造られ、寛永3年(1626)に作事奉行・小堀遠州のもとで改修された庭園。この時期の城郭には、居住のための御殿と共に豪華な庭園が作られた。二条城の他には名勝名古屋城二の丸庭園名勝和歌山城西之丸庭園名勝旧徳島城表御殿庭園が残っているが、いずれも火災等で御殿が失われているため、二条城は御殿と庭を一体的に鑑賞することができる我が国で唯一の事例である。この庭園は、公的な領域である大広間の西面、将軍に近しい人々の対面所として用いられた黒書院の南面に位置する。かつて後水尾天皇の接週の為に設けられた行幸御殿が園池の南側に建てられ、庭園の四方は回廊と建物で囲まれた状態にあった。行幸の後、御殿は移築されると同時に、将軍家による利用が減じて荒廃したが、明治以降にソテツを含む植栽の整理・捕植が行われた。】

2019年に6泊関西旅行をした際、この看板に載っている和歌山城に行きました。あまりにも暑くてすぐ撤収したんですよ。またここで目にすることがあるとは!旦那さんは忘れているようです(笑)

 

・二の丸庭園

ここからはお散歩。

本丸や本丸の庭園は見れませんが、行けるところまで行きましょう。

二條城二之丸庭園の石碑。

池。

水面に雨の落ちる様子って延々と見ていられますよね。水紋をぼーっと眺めるのが好きです。傘に当たる雨音なんかも好きなので、時々YouTubeで雨音(作業用BGM)を聴いています。

コイのエサ200円

平安神宮ではお麩が置いてありましたが、ここは自販機ですね。こんな自販機あるんですね!

行きたくても行けない本丸。重要文化財 本丸櫓門(やぐらもん)

寛永3年(1626)頃の建築で、本丸西櫓門(焼失)とともに本丸を防御する重要な門である。戦時には木橋を落して敵が渡れないようにし、さらに銅板で覆われた扉を閉めて火器に備えた。本丸には井戸や米蔵もあるので、籠城戦の備えもできている。内側の土塀に見える穴は、鉄砲で攻撃するためのもので、まさに要塞の構えである。また、寛永行幸の際に天皇は2回天守に登られたが、その時の木橋は2階橋で、天皇は二の丸御殿内から橋の2階の畳廊下を通って、地上を歩くことなく天守まで行かれた。天守へ登られた天皇は、この時の後水尾天皇が唯一といわれている。その2階橋の一部は、昭和5年(1930)頃まで残っていたが、その後解体され、部材の多くは土蔵で保管されている。】

入れるのはここまでです。

下を見ると、わぁお!鯉まみれ。こんなに来てくれるなら餌をあげたくなりますね!

⬆現在地。左下の東大手門から赤の矢印に沿って歩いてきました。順路線の無い場所(左上など)まだまだ歩けるみたい。晴れた日にはお散歩しても楽しそうです。現在地から右に向かい、清流園を通って帰りましょう。

京都に来てよく見かける台形ライト。和風で良いなと思います。

重要文化財 鳴子門

【南の桃山門と対になっており、北を向いて本丸を防御している。寛永3年(1626)頃の建築である。門の形式は、正・背面に4本の控柱を立てていることから「四脚門」であるが、正面の控柱の出が小さく四脚門には見えない。控柱が壊されれば門は簡単に倒れてしまうので、その弱点を補うため出を小さくしたと考えられる。小ぶりな門であるが非常に珍しく、他に例を見ない構造である。「四脚門」が城で用いられることは少なく、二条城では他に唐門があるのみである。】

ここだけみると皇居のお堀を思い出しますね。

お庭。

日差しを遮るものが無いので、晴れていたら日傘対策必須です。

朝食会場(香雲亭)※予約が必要です  とのこと。その横に詳しい看板もあります。ここで朝食を楽しめるんですね。

先ほど看板で見た清流園(せいりゅうえん)

昭和40年(1965)に京都市が迎賓施設として作った庭園である。西半分は和風で2棟の建物(和楽庵、香雲亭)が建てられている。東半分は洋風で芝生が敷き詰められている。建築部材、庭石、樹木の多くは京都の豪商・角倉(すみくら)家の屋敷跡から譲り受けたものである。角倉家は江戸時代前期に、角倉了以が運河として高瀬川を整備するなど、京都の発展に大きな影響を与えた商家である。清流園南の園路沿いには曲がりくねった樹形が特徴的な「しだれえんじゅ」が植えられ、7~8月には白い蝶形の花をつける。また、春には桜が一斉に咲き「桜のトンネル」が楽しめる。】

ご丁寧に、看板があちこちにありますよ。

一回りしてきました。

二条城の屋根部分をズーム。

最後に目に焼き付けましょう。本丸に入れなかったので、またいつか来るとは思うんです。そもそも京都はThe観光地ですし、いつか家族旅行なんかで来ると思うんですよね。その時になったら今回の旅行の写真を見ながら、思い出話をしつつ新しい思い出を作りたいななんて思っています(^^

 

■二条城

■場所…中京区二条通堀川西入二条城町541

■時間…8時45分~16時(閉城17時)

■拝観休止日…(12月26日~28日、1月1日~3日、毎年1・7・8・12月の毎週火曜日※休日の場合は翌日が休止日)

 

東大手門チケット売り場のすぐ近くからバスに乗りましょう。目の前が大通で、見える範囲にバス停があります。

上賀茂神社

曲がることなくひたすら真っ直ぐ走りましたよ。こんなに真っ直ぐ?!と驚くくらい真っ直ぐ。曲がったのはバスをおりてこの横断歩道くらいかな。

帰りは上賀茂神社のバス停から乗りましたが、行きは何故か道路端で降りて橋を渡りました。

京都はバス停が多いので、大抵の観光地はバスで行けます。

ここも何やら工事中ですね。緑色のカラーコーンがおいてあります。

賀茂大社と書かれた大きな石碑。

ここ賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ:上賀茂神社)とこの後行く賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ:下鴨神社)は関係が深く、今いる上賀茂神社の神様が息子下鴨神社はその祖父&母が神様です。

 

元々は賀茂社と言い、1つの神社でした。

上賀茂神社 本殿・権殿特別公開。

インターネット予約優先とのことですが、もし入れたら行きたいですね!

貸切状態。

開けていて広々としています。

雑誌に載っていたお馬さんは居ませんでした。

なるほど、暑さ対策で会えません。9月5日以降はまた日祝に出社予定ですって。お馬さんの体調が第一です!

平成32年(令和2年)3月迄 式年遷宮

賀茂別雷神社 境内案内図

広い。しかも芝生部分が多く、ゆったりとした感じですね。

京都って広い神社が多いですよね。京都の敷地のほとんどが寺社仏閣なんじゃないかって思うくらい。

どんどん進んでみましょう。

瓦ではなく茅葺屋根。

 

立砂(たてずな)

【盛砂(もりずな)とも云い、「たつ」とは神様のご出現に由来した言葉であり、神代の昔に御祭神・賀茂別雷神が最初に降臨された、本殿の北北西2km奥にある円錐形の美しい形の神山に因んだもので、一種の神籬(神様が降りられる憑代)である。鬼門・裏鬼門にお砂を撒き清める風習は此の立砂の信仰が起源で、「清めのお砂」の始まりである。】

盛砂は知っていましたが、ここが始まりなんですね。2kmなら目視出来そう、神山を見てみたいです。

 

そしてその後ろの建物、細殿

【行幸の際乃斎王の御著到殿 寛永5年(1628)造替 重要文化財】

相変わらずコロナ禍のため柄杓はありませんが、ここは常にお水が流れています。

名水「神山湧水」について

【この手水舎の水はご祭神「賀茂別雷大神」がご降臨された神山のくぐり水を汲み上げて使用しています  歴史上特に由緒深い境内の井戸水と同じ水脈の名水であり、飲料用水質基準にも適合しています  上賀茂神社】

飲んでも大丈夫なんですね!

ちょっとツルッといきそうな細い道。この辺から、他の参拝者の姿もちらほらと。

 

大きな門をくぐりましょう。

雨続きなのに、川の水が透き通っています。あちらも後で行きましょう。

なんでぃーと書かれています。牛さんの名前でしょうか。

百人一首にも詠まれているんですって。夏越祓は鎌倉時代にはすでに有名だったそう。

ここに来て、まだ誰にもあっていません。本殿・権殿の特別公開の受付はまだ大丈夫そうかしら。

階段上の受付まで行ってみます。

・本殿権殿特別公開

なんと、タイミングよく入れました!

 

階段をのぼり靴を脱いだら畳の部屋に行きます。建物内は撮影禁止。巻物、昔描かれたと思われる神社の歴史の絵、その他展示品などがあるお部屋。6畳2間くらいかな。そこに神棚と、高さは30cm程で座面は布の折りたたみ椅子が数脚。私達より先に来ていた方が1名、後から2名。合計6名。

お部屋から外を見た様子がこちら。

 

まず上賀茂神社のことについてご教授いただきます。壁いっぱい上部に掛けられた複数枚の絵を見ながら、この絵は〜と説明。神山に御祭神がご降臨されたときの絵もあり、そこから話が始まりました。

 

お清めいただいた後、建物の奥へ移動します。普段見れない、拝殿の奥。ピンと張ったような空気を想像していたのですが、どこか穏やかな雰囲気。気の張る感じではなく、包まれるような優しい雰囲気でした。

 

建物の造り、御祭神についての話を聞きます。その後、先程の部屋から見えていた右の建物横にある通路を通り、首からかけていた長い紙を置いたり。参拝中ずっと首に掛けていたこの紙には、屋根に使用されていた檜皮が練り込まれているので、持ち帰っても良いそうです。

そうそう出口手前の建物内にて、葵祭を模したミニチュア人形を見ました。作りが細かく、今にも動き出しそうな模型でしたよ。

特別な体験が出来ましたし、見所も満載なのでお時間があればぜひ。

■料金…大人800円、小学生400円です。

片岡橋、玉橋。どちらも重要文化財です。

岩上(がんじょう)

【賀茂祭(葵祭)には宮司この岩の上に蹲踞、勅使と対面し、御祭文に対して神のご意思を伝える「返祝詞」を申す神聖な場所である。

太古御祭神が天降りされた秀峰神山は本殿の後方約2kmの処に在り、頂には降臨石を拝し、山麓には御阿礼所を設け厳粛な祭祀が斎行されてきた。

この岩上は神山と共に賀茂信仰の原点であり、古代祭祀の形を今に伝える場所である。神と人との心の通路でもあり、『気』の集中する場所である。】

参拝後、時間いっぱい見て回りました。写真を撮っていない箇所もあります。

ちょっと道をそれて、神山が見えるところまで行きます。特別公開の時に教えていただいたんですよ。看板にも何度も出てきましたし、降臨された山が気になります。

この道路から奥に見えるそう。

うーん、画面正面の山かしら。それともモヤがかかっていて見えないくらいもう少し奥にあるのかしら。うーん。2km後方ということは、突き当りに見えるあの山の可能性が高いですよね。確認する術がないので、なんだか消化不良。

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しっかり御朱印も頂きました

 

■上賀茂神社

■場所…京都府北区上賀茂本山339

■時間…開門:5時30分~17時 御祈祷:9時~16時※予約不要 など。詳細は公式ホームページにて。

 

ちょっと謎の残る終わり方をしました。もう少しよく聞いとくんだった…。そしてブログは結構長くなりましたね!ここに下鴨神社を繋げると、読む気力が削がれると思うので次に持ち越しです。

 

二条城も上賀茂神社も歴史たっぷりで、この京都旅行ブログの中で一番文字数の多い回な気がします。

 

来週の水曜日のブログは、下鴨神社&喫茶店六曜社。下鴨神社で雨が強くなったため、割とすぐ退散しています。そして雰囲気の良い地下にある喫茶店。京都観光の最終日ということもあり、お土産を買ったり、最後の夕食は小鉢沢山の京料理です(^^

 

また来週お会いしましょう!

 

 

先週のブログ↓

aringo-travel.hatenablog.com

 

 

和歌山城に行った時のブログ↓

aringo-travel.hatenablog.com

 

御朱印ブログ↓

aringo-travel.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

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